曲紹介
"●●県△△郡**村"
東の山、西の山に挟まれる形でかつて存在した村
東には縁神という里神が、西には左喰いという禍がいるという言い伝えから、禍から免れるために縁神を信仰するといった民俗宗教を展開していたとされる。
曲名:『御神双村』(おみたむら)
- 『ボカコレ夏2023』TOP100ランキングで62位を獲得した。
歌詞
(動画内より書き起こし)
これは、夏の暑さに暈かされた
遠い私の村の話
耳を澄ませたならば蝉の哥
微かに耳に障る
「″御神双村″」
じっちゃんが言うには
「この村は、御双の神の睨み合いの狭間」
「西にゃ行ってはならぬ」と、
「拝むんにゃ東に行きなさい」
「東の神様にゃ、縁結。取り憑こうなそうて、正しき道へ
わしゃらを連れて行きなそうるぞったら拝みん」と
ばっちゃんが言うには
「気をつけろ。西の神は左を喰うちゃる。
もう喰わにゃば目んも聞こえも失うゆうたら近づきんちゃう」
そう、東も西も私にはまだ判らぬ頃だったから
地図も全く読めずに颯爽迷いて歩み止めず、山へ
地図 から 離 れた 私 の 足 跡
紅 色 から ずれ てく 空、 足 音
ずれてく、ずれてく、私の 足 元
ど ち ら に し よ う か な
かみ さま の いうとおり
瞬間重力から投げ出され
触れる冷たく注ぐ雨を
奈落、身はとっくに見捨てられてて
まるで、尽きた 蝉よ
お縄、謎のお縄を足で切る
涙出るほど余裕なくて
サラバ、ただ「仏」と苦笑い
祟り、噛み締めるまま
ここが、西か東かも判らず
さらに、彷徨い揺れるままに
咲う、地蔵、雨色翻せ
生きて、死にて、常世
宛ら、とばっちりの今を思い
眩み、黒にも近い明日よ
眼、粗相ゆっくり閉じてゆくまま
厭世、その村の名は
御神双村
左の盲に気付かされる
ノイズを枕に目を閉じる
はっと目を覚ます午前九時
左、耳も目んも治りんさい
せんせが言うには
「お大事に 左喰いの来るまんに帰りゃんせ」
朝露輝いた畦道を
微かに聞こえるイナゴの足音に
物憂げなしに、ある意味虚、安らかに行く
ぼっこをしながら午前十時
ゆるりゆらりとお天道様に往く
坊さんが言うには「ありがたや」
ただ頭を下げては何もせぬ
"なんだか解らぬ物騒な像"
"お縄が巻かれた巨木"を通り過ぎ
見慣れた景色 我が家の扉
見知らぬ影が
震撼、左喰いのお出ましかと
恐れ、安寧探すままに
常に、背後についた影・視線
まるで、針の山よ
だれも、助けには応答せずに
されど、誰かに追われていて
純真、左を覆い隠しては走る、わたしは童
納屋の、小隅にひた隠れては
震え、辿々しき手の中で
「夢よ、さも一刻も早く覚めて」
願う、蜘蛛の糸よ
いつか、眠りこけていたままに
欠伸、視線のカケラなくて
不思議、縁の神のお力か
なりゃば、拝みんせんと
御神双村
時は夕暮れ 臨む林
とっくに八朔の香りも落ち
進む山路に飛び交う虫も
汗肌に誘う
西の左喰いの祟り
東の縁結びなる縁神
劈く私は狭間の村
遊ばせ賜われる
階段の角の地蔵の横目に
匂う経てにゃ雨と土の粉
全く信仰厚く 私
ありがたやと参る
東の縁神
祠拝みとやってきたなりゃにゃ
不思議をみる吹っ切れたる縄
さては、私
東で祟りゃんす
これは、夏の暑さに摩耶化された
村の、娘の縁を結ぶ
全て、世の正しきに率いんと
これが、神の常よ
まさに、この一体分身なる業よ
知らぬ、記憶のうちに愛よ
西の、彼の邪なるやを討ち入れよ
身体、赴くままに
東、西の睨みに挟まれた
村を、わたしの村を守る
娘、山に入る儀も知らぬまま
無垢で、罪な、贄よ
なりて、西の山路に分け入りて
雨の、あがりの残を強いて
見事、長きなる縁を果たさんと
ここが、永遠の村
御神双村
そう、これが私の昔話
今も永遠の村
「"御神双村"」
コメント
- すっごい好き!! -- (2024-12-22 19:19:03)
コメントを書き込む際の注意
コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、
以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。
コメントする際は、絶対に目を通してください。
- 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現)
- 特定の個人・団体の宣伝または批判
- (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ”
- 長すぎるコメント
- 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題
- 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント
- カラオケ化、カラオケ配信等の話題
- 同一人物によると判断される連続・大量コメント
Wikiの保守管理は有志によって行われています。
Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
最終更新:2024年12月22日 19:19